
ヘンリー・マンシーニ ( 本名: Enrico Nicola Mancini ) は、1924年4月16日、イタリア移民の子として、オハイオ州クリーヴランドに生まれた。ペンシルバニアの ピッツバーグで育ち、幼い頃より父親からフルートとピッコロを教わる。ハイスクール卒業後には、マックス・アドキンスに付いて正式にフルートとピアノの指導を受けた。アドキンスからベニー・グッドマンを紹介され、グッドマンの勧めでニューヨークへ移住。作曲家マリオ・カステルヌオーヴォとエルンスト・クシェネックに師事しながら、ジュリアード音楽院で本格的に音楽を学ぶ。
ニューヨークに移った翌年の43年、ヘンリー・マンシーニは第二次大戦に召集される。空軍に在籍し、マーチングバンドにも参加した。
テックス・ベネキーに作品を認められ、除隊後、憧れのグレン・ミラー楽団にアレンジャー兼ピアニストとして採用される。レコーディングや公演に参加し、もちろんオリジナル作品も残している。
47年、メルトーンズのメンバー歌手だったバージニア・オコナーと結婚。双子の女児(フェリス、
モニカ)と男児(
クリストファー)をもうける。
52年、ロサンゼルスに居を移して、ユニヴァーサル・スタジオに入社。音楽監督の
ジョセフ・ガーシェンソンのアシスタントとして研鑚を積み、アボット&コステロの喜劇を皮切りに、「大アマゾンの半魚人」
等のB級ホラーのほか、「グレン・ミラー物語」、「黒い罠」といったヒット作も手がけた。
ブレイク・エドワーズ監督と知り合い、その縁で音楽を担当したTV映画「ピーターガン」(1958)の音楽が絶賛され、ハリウッド映画界に本格進出。
程なく
「ティファニーで朝食を」でアカデミー賞を受賞し、マンシーニの名は全世界に知れ渡った。以降、40数年間にわたり150以上の映画スコアと、90以上のアルバムを作った。
その間には4つの大学(California
Institute of the Arts、デュケーン大学、Mount Saint Mary's College、Washington and
Jefferson College)で名誉博士号を受け、後進の育成にも貢献した。
94年6月14日、肝臓と膵臓のガンのため、ロサンゼルス・ビバリーヒルズの自宅で永眠。ブロードウェイのミュージカル「ビクター・ビクトリア」の作曲が最後の仕事となった。
温厚で誠実な紳士。人柄が良く、公私にわたって誰からも慕われていた。
モーリス・ジャール、
ラロ・シフリン、
ミシェル・ルグランなど、外国からやってくる作曲家やアーチストにも親切で、皆に感謝されたという。
趣味は写真、スキー、クルージング。ワイン蒐集家としても知られ、カリフォルニアでトップを誇るワインセラーを持っていた。